「福井駅前物語」にいただいた感想

いろいろな感想をいただきました。一部抜粋して掲載します。

○ 「蒸気機関車で通学して約60年余り、福井駅の発展をこの目で見て来ました。あっと言う間の2時間が、自分史を描いてるような錯覚を覚えてなりませんでした」70代男性


○ 「大変懐かしい映像で、子供の頃にタイムスリップしたようでした。幼い頃に住んでいた家から見ていた風景が映し出され、色々思い出されました。空襲後県庁が丸焼けになって、何もない石垣で遊んだ事、今の放送会館の場所で遊んだ事・・・」  80代男性

○ 「映像に映し出されたすべてを体験してきた一人として、戦争では、顔がなくなった赤ちゃんを背負ったお母さんやお堀に溢れる遺体、焼夷弾が降る中をはだしで逃げた事など、悲惨な光景を思い出した。その後の震災や豪雪、水害など今思えばよく乗り越えて来たなと思った。当時は地縁血縁の絆が深かったからでしょうか?」90代女性

○ 「楽しく、懐かしく見せて貰いました。戦争、震災後の水害は知りませんでした。私も知らないことが多くあり、小学校や中学校でも上映して欲しいと思います』60代女性

○ 「私は県外から来たので興味が無かったけれど、色々時代の移り変わりに段々引き込まれ、福井の大変さも解り、これからは興味を持って一日一日を大事に生きて行こうと映画を見て思いました」 50代女性

○ 「僕が生まれる前の映像、特にだるまやの建物や歌劇団が良いと思いました。色々新しくなっている駅前ですが、良いものはずっと残って欲しいです」 40代男性

○ 「聞いた事が有る、豪雨、豪雪、空襲の映像を見れて、被害の凄さ復興した福井の力強さを感じ“不死鳥・フェニックス福井”と言われる理由がよくわかる映画でした。近年も豪雨、豪雪で殺伐とした雰囲気の気がするが、昔の人達は笑顔で乗り切ってよい表情だと思った」  40代女性

○ 「大昔の写真は見たことが有るけど、映像がこんなにあるとは思わなかった」30代男性

○ 「映像として残してあることで、忘れてしまっている事が記憶としてよみがえって来る、大変貴重な映画だと思いました。平成に入ってからの事なのに、駅前の事など、忘れている自分に驚きました」 70代女性

○ 「とても貴重で懐かしい映像、嬉しく拝見しました。国体の歌、懐かしい!福井に歌劇団があったとは!?」  70代女性

○ 「福井に生まれ、学校や仕事の関係で関東・中京・関西に15年ほど生活しましたが、福井が一番住みやすく、楽しく落ち着いて暮らせる街に思います。映像の中に私も知らなかったシーンや写真が沢山あり、今日の映画ありがとうございます」  70代男性

○ 「幾度と災難を乗り越えて来た、福井県民の姿を見て、希望の光輝く映画だと思いました。昭和の映像は新鮮な気分で、平成の映像は懐かしい気持ちになりました」30代女性

○ 「思ったより震災の映像が長く衝撃でした。その後の災害の映像を含め、見る機会が無いのが見れてよかったです」  50代女性

エピソード・・・偶然知り合ったおばあちゃんのお話
○ お墓参りの話になり、おばあちゃんは大野に行くとおっしゃり「うちの旦那は、いっぺんに親兄弟を亡くして、急に一人きりになった人での。あの豪雪の時に・・。【38豪雪・・勝山市横倉で表層雪崩により、7戸19名が生き埋め、11名が死亡。(25時間後に、4歳の男の子が救出された:上記の旦那さんとは別人)】  旦那が横倉が好きで、子供らを連れてよう遊びに行ってました。私はあまり思い入れは無いけど、子供らが気に入っていて毎年行くんですわ。孫連れて」

○ 災害の話になり、突然おばあちゃんが「私、昔、北陸トンネルの事故*にあったんや」【北陸トンネル火災事故・・1972年(昭和47年)11月6日、北陸トンネル内で食堂車から出火。ほぼトンネル中央部で停車した為、消火、救助が難航。30名死亡、714名が負傷した。】
真っ暗な中、必死でトンネル内を歩いたという。大坂の姉の家に行った帰りだった。
 最初に頭に浮かんだのは「こんなとこで死んだら、姑に怒られる!」と言う思いと子たちの顔だった。目の前は漆黒の闇、息もできない中、口をタオルで覆って歩く人がいた。
それ以来電車に乗る時は、濡れタオルを必ず持ち歩いてるそうです。